Miyagi Michio (1894——1956)
日本作曲家、筝演奏家。1894年4月7日生于神户,1956年6月25日卒于爱知县刈谷市7岁时双目失明,1902年拜生田派筝曲家中岛检校为师,11岁满师。1907年到朝鲜仁川教授筝与尺八以维持生活他的处女作筝曲水的形态变化作于1909年。1917年移居东京后,一直从事演奏、作曲、教学活动,致力于发展邦乐及改革民族乐器。他创制的17弦筝现在被广泛使用。1948年任艺术院会员。他创作的几百首作品中,筝和尺八二重奏《春之海》(1929)最为著名,1932年由法国小提琴家R.谢梅改编为筝与小提琴演奏,并和作曲家一起录制成唱片。宫城道雄的主要作品尚有室内乐性质的《樱花变奏曲》、《落叶舞》,邦乐合奏曲《薤露调》,筝和管弦乐队的《越天乐变奏曲》等。他在日本的历史地位与刘天华在中国现代音乐史上的地位相似。他的创作是日本民族传统音乐进入一个新阶段的标志。
年令 | 年 |
主なできごと |
1894 (明治27) |
神戸、三宮居留地五八番館にて誕生 父 菅国治郎 母 アサ (広?u市安佐南区) |
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8 |
1902 (明治35) |
二代中?u検校に入門 |
11 | 免許皆?护趣胜陰熃长未??扭趣胜?/TD> | |
13 | 朝鮮(現大韓民国)に渡り仁川にて箏と尺八を教える | |
15 |
1909 (明治42) |
処女作「水の変態」を作曲 |
18 | 検校となる | |
19 | 喜多仲子と結婚、仲子の生家宮城家再興、宮城に改姓 | |
23 | 東京へ移住、この年童曲第一作「春の雨」(葛原しげる作詞)を作曲 | |
24 | 吉村貞子と再婚 初めてのレコード吹込み | |
25 | 第一回作品発表会(東京本郷中央会堂) | |
26 |
1920 (大正9) |
「新日本音楽大演奏会」と名うち作品発表、「新日本音楽」の名称生まれる |
27 | 十七絃を発表 それを使用した三重奏曲「落葉の踊」作曲 | |
29 | 「さくら変奏曲」、「薤露調」「?音」など作曲 | |
30 | 台湾演奏旅行 | |
31 | 東京放送局ラジオ?⒎潘汀⒊跞铡皋?墩{」その他演奏 | |
34 | 「越天楽変奏曲」を新交響団と共演 | |
35 |
1929 (昭和4) |
「春の海」作曲、新楽器八十絃を発表 |
36 | 日米ラジオ交換放送に出演。 | |
38 |
1932 (昭和7) |
女流バイオリン奏者ルネ・シュメーと「春の海」を合奏する(日比谷公会堂)、短琴を考案、発表 |
41 | 最初の随筆集『雨の念佛』出版 | |
43 |
1937 (昭和12) |
東京音楽学校教授となる |
54 |
1948 (昭和23) |
八月 ?の南禅坊に墓参、?劇場にて演奏会を開く芸術院会員 |
56 |
1950 (昭和25) |
第一回放送文化賞受賞 |
57 | 宮城会結成 | |
59 | 国際民族音楽舞踊祭、日本代表としてヨーロッパに渡る。パリ放送局、ロンドンBBCより放送 | |
62 |
1956 (昭和31) |
関西演奏旅行の途中、刈谷駅構内で急行列車「銀河」より転落、死亡 |
1957 (昭和32) |
福岡県浮羽郡吉井町本?査陇恰溉丈?」の曲碑除幕 | |
1978 (昭和53) |
「宮城賞」を制定 宮城道雄記念館開館(東京都新宿区中町三五) |